人生は宝探し…あなたはどちら?
山あり谷ありの冒険の末に宝物を発見しました。その宝物をどう扱うのかは2つの方法があると思っています。
1つは、宝物を拝むことです。もう1つは宝物を受け取ることです。どちらが良いとか悪いとかではありませんが、あなたはどちらを選択しますか?
宝物を大切に扱うという意味では、両者ともに大切にしています。違いとしては、前者は宝物が傷付くこともなければ一生手に入れることがないのに対して、後者は受け取れる一方で時には宝物を落っことして傷を付けてしまうかもしれません。
- 大切だけど傷付けたくないから拝むだけ…
- 大切だからこそ、たとえ傷付けたとしても、受け取る…
以前の私は確実に前者でした。どんなに素晴らしい宝物が目の前に訪れても、こんな私が受け取っていいのかな?宝物を傷付けたりはしないかな?と拝むだけでした。良い悪いではありませんが、実は、後悔しています。
今の私も、引き続き、拝むだけ…ということもあります。
ですが、できる限り、受け取るようにしています。やっぱり、手に取ってみて初めて、宝物のありがたみを実感できますし、もしかしたら傷付けてしまうかもしれないという恐れを起こってもいないのに抱くのは損な気がします。
宝物は受け取る…もちろん、宝物を奪うということではありませんから、そのためにも、普段から自分の宝物を他の人に与えるように意識するようになりました。宝物は有形のものだけではなく無形のものもあります。人間関係もお金も健康も知識も経験もスキルも情報もノウハウも関わる人の未来がより良いものになるのであれば、その人にとってはすべて宝物です。宝物と感じるのは人それぞれです。
常に自分磨きを行い、関わる人にとっての宝物をいついかなるときでも与え続ける…そうすることで、私が受け取れるチャンスが訪れたときに、過去の私のように拝むのではなく、私にとっての宝物を受け取れると思っています。
- あなたにとっての宝物は何ですか?
- あなたは宝物を目の前にしてどう取り扱いますか?そのための準備はどうしますか?
あなたにとっての宝物をこのブログを通して受け取ってもらえると、とても嬉しいです。
肝心の私のプロフィールに話を戻します。
はじめまして、電子書籍×リストビジネス研究所所長のまっさーきーです。いきなり宝探しの物語から始めましたが、楽しんでもらえましたか?
この物語に何となく私の性格が表れているのではないかと感じているので、初めに宝探しの話をさせていただきました。それでは自己紹介させていただきます!
天職と思えた職場が一瞬で地獄の職場へ・・・
職場脱出のために副業を始めるもうまく行かないどころかむしろ最悪の状況に・・・
そうやって落ちて行った光のない真っ暗闇の世界から脱却して、
今では、「電子書籍→LINE→コンサルティング」のリストビジネスをしていて、
副業月収として60万円を達成^^
電子書籍はAmazon kindleを利用しています。
研究した結果、ランキングもある程度は自分で操作することができます。
研究に用いたのは私が出版した3冊の本で、このように私が操作することによって、
1位から3位とすることができました。
しかも、ただ1位から3位を総なめするだけではなく、左から「赤・黄・青」と、
信号を描きました^^
(我ながら、狙い通りにうまく行ったぞ^^)
もちろん、初めからうまく行った訳ではありません。
(信号のことではありません…副業月収60万円の方を指しています><)
- 株式投機で月3万円を達成した矢先に東日本大震災の暴落で一気に127万円の損失
- 可愛い娘の「パパ、遊ぼう?」に「うるさい、あっちいけっ」と突き放しながら6ヶ月頑張ったサイトアフィリは収益ゼロ
- アービトラージと呼ばれる投資手法の詐欺案件にひっかかる
- 何ら価値のない30万円の情報商材を買ってしまう
- 物販で月商5万円 (このままやればうまく行くスタート地点)まで達成するも価格変動に精神が持たず断念
などなどいろんな経験をしています。
「やればできる、学んだことは即実行」をモットーに諦めることを諦めていたら、少しずつ、、、
- 「得意を売るならココナラ♪」から3千円の商品を定期的に購入していただく
- Amazon電子書籍から毎月3万円ほどの印税収入を得る
- Amazon電子書籍出版の面倒な裏技作業を「タダでやりますよっ」て代わりにやってたら、ありがとうと感謝されながら9人すべての人から1万円ずつをいただく
- 初心者向けに、参加費5千円でホームページ制作のZoomセミナーを定期開催する
- 文章作成代行をお客様からお願いされて10万円で引き受ける
- 37分で作った文章に多くのお客様が感謝・感激して15万円をいただく
- あるサイトでお困りごとを解決しまくっていたら、サイトのオーナーからお声が掛かり、1日10分ほどの作業をお手伝いして謝礼金として15万円をいただく
- 月1回30分ほどの画面操作をするだけの米国株式投資で年利28%を達成
というような実績を得られるようになったのです・・・
うまく行かなかったこともうまく行ったことも数え上げたらキリがありませんが、とても器用とは言えず、めちゃくちゃ遠回りして何とか人生が好転してきたという感じです。
そうして、自分自信の輝きを取り戻してきた訳ですが、この輝きを広めて、誰もが笑顔で輝きのある人生を歩める世の中になって欲しいと願っています。
前置きはこのくらいにして、詳しいプロフィールに入りたいと思います。
ここからのプロフィールでは、
・自分自身が苦難をどのように乗り越えてきたのか
・畑違いのビジネスを始めるにあたり、知識・経験・スキルをどのように磨いていったのか
についても交えながら、できるだけ面白おかしく紹介していきたいと思います。
第1章 教師から見放されたダメ中学生が人生で一番大切なたった1つのことを学んで国公立大学への入学と希望する会社へ就職できた話
時は遡ること、小学生時代・・・
(そっからかい~戻り過ぎでしょ(汗))
人見知りが激しくおとなしくて暗い子でした・・・
さらに口下手でもあり、友達とはなかなか仲良くなれずにいました。
むしろ、いじめの矛先になることの方が多かったです・・・
自慢ではありませんが、仲の良い友達は「コロコロ」でした。
(家を掃除するあれですね^^いやいやそっちじゃなくて、小学生向けの漫画雑誌です><)
中学時代でも相変わらず。
新しい友達ができた。「ジャンプ」だ。
(決して、1人ピョンピョンと飛び跳ねて遊ぶことではない。少年向けの漫画雑誌です><)
喘息持ちのため部活動もしておらず、これといった趣味嗜好を持たずに過ごしていました。
その分、勉強ができたんじゃない!?
はい、ありがとうございます。
お蔭様で、中学3年生の3者面談では、担任の先生から、
「熊本県にある高校であなたが受かる高校はありません。他県の高校を探しますか?それとも就職先を探しますか?」
と宣言されました。
ガ~ン><
このときの頭が真っ白になるショックは今でも鮮明に覚えています。
悔しくて悔しくて、それと同時に、「見てろよ~」と頭にきて猛勉強をしました。
中学生から「進研ゼミ」が毎月送られてきましたが、友達にはなれず、積読状態 (本が積み重なっているだけの状態)だったんですよね><
それを引っ張り出して勉強するって選択肢もあったのだろうけど、なぜか母親も頭に来ていたようで、塾反対派の父を説得して、半年間通わせてくれました。
その結果、滑り止めで受験した高校も本命で受験した高校もすべて合格です^^
もちろん、担任の先生が受かる高校なしと言い放った熊本県にある高校です。
このときですね。「やればできる」と実感したのは・・・
高校では、「ボール」が友達でした。
(キャプテン翼か~い)
喘息が治り、Jリーグが始まったばかりでもあったことから、サッカー部に入部したんですよね。
しかし、始めから翼くんみたいにボールと友達って訳ではなかったんですね。
人からパスを受けたらそのままスルー、パスをしようものなら空振り・・・
チーム戦ともなろうものなら、「何でおまえと同じチームなんだよ~負け確定だな」なんて言われもしていました。
ここでも、「やればできる」が活きてきたんですよね。
毎日、ずっとボールと一緒に過ごしていました。
部屋でも出かけるときでも (ボールがあらぬところへ転がるのであぶないあぶない(滝汗))
次第に、ボールをコントロールすることがうまくなってきて、負け確定とかほざいていたヤツも、
「こんな下手くそなヤツ、早く辞めろって思っていたけど、よく途中で諦めずにうまくなったな。」と、
一生懸命サッカーを頑張る姿が本当の友達を作ったんですよね^^
部活を通して人以外の友達を卒業できた訳ですが、そのお陰様であっという間の3年間を過ごしことができました。
両親から、「良い大学、良い会社に入れば人生は安泰」と聞かされて過ごした私は何の疑いもなく、
大学へ・・・
とうまく行けば良いのですが・・・
センター試験3日前に父に呼び出され、そこには箱が3つ。
箱にはそれぞれ、熊本大学、鹿児島大学、就職と書かれていました。
当時、良い大学の基準が良く分からず、現在のKDDIを創業した稲盛和夫さんが通っていた鹿児島大学を何となく希望していました。
学力的にもそんなに高い学力を求められず、ギリ受かるってレベルだったんです。
で、その箱を前にして、「どれを選ぶ?家を買いたいから選択肢は一つなんだよね。」と問われました。
(かなり説明をはしょっています。厳しくて無口な父とは裏腹に考えや思いなどを詳しく説明してくれました。)
箱の中身は、、、
・熊本大学・・・福沢諭吉が何枚か
・鹿児島大学・・・きらりと光る刃物が (本物か否かは定かではないです)
・就職・・・空っぽ
でした。
結局、1年の浪人を約束に熊本大学を選択しました。
学力的に圏外だったんですよね。だから、浪人は認めてくれって話なのですが、
2年目の浪人は許されず、1年の浪人後も合格できなければ就職ってことに落ち着きました。
そこからは勉強漬けの日々と受験失敗という共通の仲間との意外と楽しい浪人生活が待っていて、1年後、晴れて合格を果たすことができました。
(やった~受かったぞ~、というよりかは、就職しなくて済んだ~とほっとした気持ちの方が強かったです。)
ここでも、「やればできる」の精神が活きました。
(さすがに受験直前の3日間では無理でしたが・・・諦めなければ何とかなるって意味です。)
大学に入ってからというもの、あの箱の中の福沢諭吉はどこに行ったのやら、両親からの金銭的な支援はありませんでした。
無利子の奨学金をもらいつつ、アルバイトをしつつ、勉強もしつつ・・・ (おっと、高校まであまりやってこなかった勉強をここに来て自主的に勉強^^)
というような日々を過ごします。
大学4年生になっても、特にやりたいことが見つからず、何となくそのまま大学院生へ・・・
(このとき、学力は同学年の中で高い位置に・・・)
そして、大学院になってから、バイクや車に乗ることの楽しさに触れたんですよね。
バイクは大学時代の友達から就職して不要になったために譲ってもらい、車は大学院の友達から借りて乗っていました。
それぞれ、凄く音が良くって、運転することに快感を感じていました。
(と言っても、安全運転・・・)
この快感がキッカケで、自動車会社へ就職しました。
続く・・・
※プロフィールの続きは順次公開していきます。お役立ち記事も同時にアップしていきますので、しばしお時間をくださいませ。楽しみにお待ちいただけるととても嬉しいです^^
※タイトルは<仮>です。変更の可能性があります。
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第2章 希望する会社はまさに天職だった。でも、それは勘違い!?
エリートサラリーマンをエンジョイしていたのが嘘のような地獄へと転落した…
coming soon…
第3章 地獄の日々からの大復活!?
一番大切なたった1つのことを実践したけど初めての挫折を経験・・・
coming soon…
第4章 地獄からの復活を諦めきれず副業を開始!
やっぱり挫折・・・でも、その挫折は意味のある挫折だった
coming soon…
第5章 可愛い娘の「パパ、遊ぼう~」のお誘いを「うるさい、あっち行けっ」と怒鳴りつけるダメなパパが人生の大逆転
coming soon…
第6章 ダメな中学生時代を過ごすダメなパパを救ってくれた思考とは?
coming soon…
最終章 未来予測に基づいた活動
あなたも一緒に活動しませんか?
coming soon…